死にたい男のブログ 生い立ち3

労働者1の自画像

●労働者編1●

 

まず、母親の紹介で空調設備の会社に就職します。
「俺は、この仕事してなけりゃヤクザになってた」という、毎日帰りはワンカップを飲む社長の元、働き出します。
正に軍隊のような仕事場でした。

この頃、切ってもらっていた美容師に、「うちで働けば」と冗談交じりに言われ、その気になり、会社を辞めて、見習いとして働き出します。
結構大きなフランチャイズ店の美容室です。

働きながら美容師資格を取れる通信学校を受けます。ただ 無知で頭が悪い私は、入学金が必要など考えておらず、まず25万円程払わないといけないと合格通知が来て、『見習い仕事もつらいし、払えないし辞めてしまえ』と、辞めてしまいます。

この頃から、私は本当にダメな人間だと思い始めます。

次に塗装業で働き始めます。建設現場や一般住宅の外壁の塗り替えなどをする仕事です。
同期で入った男の子が居ましたが、約半年くらいで辞めていました。
『親方』と呼ばれる現場で一番偉い人間にいびられていたからでしょう。

その同期が辞めた事で、今度は私がいびられ始めます。
何かあれば、怒鳴られ、私は物心付いた時からアトピー性皮膚炎で、今でも少しあるのですが、その事をいじられたりもしました。

別に不良な感じの人では無く、悪い蛭子さんのような人でした。

それでも耐えて、約3年くらい働いていましたが、嫌になり辞めてしまいます。

この頃から『死にたい』と思い始めます。

次からは建設現場の雑務をするバイトや倉庫内作業などで働き始めます。

この頃、同じ高校だった友達に『バンドのボーカルやってくれない?』と誘われて、バンドをやり始めます。
その友達の紹介で、居酒屋で働き始めます。

それなりに楽しい生活なのですが、何故かフと気付くと『死にたい』と思ってしまいます。
我慢できず、よく口に出して「死にたい」や「死んだ方がマシ」など言っていました。
周りの友達は、始めの頃は笑って流していた感じでしたが、人によっては不快感を与えてしまっていて、「もう そういう事言うなよ」と言われてから、あまり口に出さないようにしました。

同じバイト先で、同じ母子家庭の友達は、同じような思いで生きているようで、私の考えに共感してもらい、すごく仲良くなりました。

この頃、バイト先の友達の友達も含めた飲み会で、今の彼女に出会います。

約2年くらい経ち、バンドは解散し、働いている居酒屋が閉店します。

その後、携帯電話の修理の工場で、契約社員として働き始めます。
自分の中では「もう、腰を据えて働こう」と思いながら働いていました。

ただ、家に帰りフとした時、また死にたくなります。

ある時、本当に強く『死にたい』と思い、携帯電話で『死にたい』と検索すると、思いも寄らない情報が書かれていました。

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