死にたい男のブログ 生い立ち1

誕生から中学2年生までの自画像
はじめまして 柴山 健吾と申します。
突然ではありますが、私は約10年間『死にたい』と思いながら生きています。すごく苦しいです。
なぜこのような状態なのか、なぜまだ生きているのかなど、死ぬ前にインターネット上に残しておこうと思ったので、お読みいただければ幸いです。
 
●誕生〜中学2年生編●
私は東京で生まれ、物心が着いた頃には福島県に引っ越していて、福島で育ちました。父、母、姉2人、私 という家族構成でした。
 
私が小学校を卒業する頃、長女は高校を卒業する時で、「仙台で一人暮らしをする。」という事で出ていきました。
この頃、両親が別居し始めます。
 
私が中学2年の秋頃、福島駅周辺のいわゆる『町』といわれる ゲームセンターや古着屋、本屋などが並ぶ場所で、1人で暇をつぶした後、家に帰ると、次女が泣いていました。
母親が神妙な面持ちで「父親の会社が倒産し、離婚したから明日から東京の母親の実家に引っ越す」という突然の転校になります。
私は、泣きはしませんでしたが、呆然とし、すごく胸や頭が苦しかったのを覚えています。
 
次の日の月曜日、
母が「午前中だけ学校で過ごして良い」と言うので、学校へ行きました。
学級の朝礼で、担任の教師が「突然ではありますが、本日柴山君が東京へ転校する事になりました」と告げ、学級全体がどよめきました。
休み時間になると、他のクラスの友達とかそんなに仲良くなかった生徒も、みんな私に声をかけてきてくれたり、ハグをしてくれたりしました。泣いている友達もいました。
 
4時間目の始まりの頃に、母親が知り合いの運転する車で学校へ来ました。
「もう行かなければならない」という事で、クラスのみんなに別れを告げ、校門前の車に乗る時に3階の音楽室の窓から他のクラスのみんなが「柴山元気でなー!」と手を振ってくれていました。
泣きそうになったのを覚えています。